雨合羽・業務用エプロン(漁師・給食エプロン・農業用前掛け)製造の山本満商店


産地の歴史

棕櫚(シュロ)の町「紀美野町」

弊社が位置する和歌山県紀美野町は、古くから棕櫚皮を原料に用いた「棕櫚産業」がさかんに行われてきました。
棕櫚とはヤシ科シュロ属の常緑高木の総称であり、南九州が原産で主に日本国内の暖地に植栽されています。鳥が棕櫚の実を食べてその実をばらまくため、和歌山や四国にも自生しています。南国的な雰囲気を漂わせることから、装飾樹などに用いられています。


棕櫚産業の発展

和歌山の代表的な地場産業のひとつに「家庭日用品雑貨」があり、全国シェアの約8割を占めるといわれていますが、そのルーツは紀州野上谷で栽培されていた棕櫚を原料とした、縄、蓑(みの)、束子(たわし)、箒 (ほうき)などを製造する『棕櫚産業』だといわれています。

野上谷で棕櫚縄の製造が本格的に始まったのは明治10(1877)年頃で、日清・日露両戦争(明治27~28年・明治37~38年)の時には軍の弾薬箱の手縄として大量に利用されるなど軍事需要も加わり、にわかに需要が高まりました。それまでは農閑産業、あるいは農家の副業としての色彩が強かったものが、その後、専業としての問屋・製造者が続々と現れ、地場産業としての基盤になっていったのです。

棕櫚産業の衰退

しかし、明治40年頃から原料不足が生じ、国内産の棕櫚皮だけではまかないきれず中国産を輸入するようになりました。大正のはじめ頃からは代用品としてスリランカなど東南アジアから椰子の実の繊維=パームを輸入するようになり、棕櫚に比べて安価なパームが主役となって、棕櫚産業は「パーム加工業」と呼ぶ方がふさわしいくらいになっていったのです。

昭和30年頃から日本は高度成長に入り、原材料としてナイロン、ビニール、テトロンの順で化学繊維が登場し、多種多様な製品が開発されました。こうして棕櫚商品は衰退し、安価で使い捨てが可能なナイロン、ビニール商品へと世代交代していったのです。


化学繊維の発展

棕櫚産業は衰退したものの、紀美野町では今もなお多くの棕櫚を利用した商品が生産され、お土産物などとして人気を集めています。
和歌山の日用品雑貨の生産量は全国トップであり、棕櫚産業の発展が今の日本経済を支えていると言っても過言ではありません。
今日ではウレタンやターポリン等の化学繊維を使用した「前掛け」「合羽」等の商品が、海外製品に押されながらも棕櫚産業で培った高い技術力と耐久性で、あらゆるシーンで活用されております。